桜が例年になくまだ境内で名残の花を咲かせています。
何か、おかしいですね。
4月4日から11日まで、比叡山の恒例の御修法に参勤してまいりました。天台宗の座主を筆頭に、探題職にある高僧、そして門跡寺院の門主他、計17名による、不眠不休ではありませんが、1日3座、根本中堂に篭り、密教の修法と声明(お経に節を付けて唱えるもの)による大法要です。
3×7日で21ヶ座を勤めます。
常は国の安泰、皇室の安寧を祈っていますが、今年は回り合わせで、青蓮院のご本尊の熾盛光如来を祀る法要でしたが、この青蓮院のご本尊はまさに今の大地震のような、天変地異を鎮静する力を持った仏様として祀られてきました。そこで今回は、今回の大災害で亡くなられた方のご冥福を祈り、災害からのいち早い復興を一心に祈る法要となりました。
青蓮院のお不動様は、大日如来の仏頂尊である、このご本尊の化身ですので、今日はこの大災害の鎮静化、特に電発事故の早期収束を祈ってまいります。
まだまだ強い余震も続き不安な状況です。また東京に同じ様な大津波が襲来したら大変です。
東京には万全の守りを確保するための強力な対策が急務だと思います。
その実現のためにも祈ってまいりたいと思います。
多分石原都知事は最後の任期でこの実現に邁進されるのではと思います。
今回の大地震の報道によって、皆様はそれぞれ色々な感想をお持ちだと思います。
政府の対応が遅い。東電は何をやっているのだ。亡くなられた方への哀悼。被災者、避難を強いられる人々の苦しみ。
それを思うと、何かして上げなければと思う。しかしなかなか思うように具体的に動けずにいる後ろめたさもあります。
それは世の中の自粛ムードとなって現れているようにも思います。
今回の大災害を通じて、私が思っていることがあります。
今回の電発事故は 「想定外」 の津波による事故だという認識が、とんでもないことだと思うのです。
私はこの「想定外」という言葉を一切使って欲しくないと思っています。
何故か。
それは想定外という言葉の奥には、想定外だったので責任を負わなくて良い。と云う思いが裏に隠されていると思います。
今回の災害は1000年に一度の大災害で、人智の想像を絶していたことは明らかです。
しかし自然の猛威の前に人智の力が如何に小さく弱いかを今回ほど思い知らされたことはないのです。
考えられる全ての予測をして努力をしてきた。だから自分は間違っていない。という発想がこの「想定外」の発言の裏にあります。
自分が自分がと考えるのではなく、人智を越えた自然の力、つまり自分の力ではどうしようもない力の中に自分がある。
その自然の力、大きな力への畏敬。これこそ人類が誕生して以来持ち続けてきたもので、この思いが宗教の根源にあると思います。
現代人が無宗教になったのは、人智への過信、があったのではないでしょうか。
このことを今回の大地震は教えてくれています。
私は 「想定外」 と云って欲しくないのです。
私は浅はかな知恵で、思い至りませんでした。自然という大きなお力に思い至りませんでした。
私以上に大きな力があることを思い知らされました。申し訳ございません。至らなかったことを心から反省しお詫びいたします。
心の底から詫びる。自分、人間を越えた大きな力を畏れ、敬い、非力な己を恥じること。その心情の中から犯した失敗を心から償うという行動が表れてくるのではないでしょうか。深い反省、謙虚な反省が共感を呼び再生への道が開かれるのではないでしょうか。
これはまさに宗教の懺悔です。
この大震災によって我々はこのことを思い知らされたと思います。
私は東電の清水社長の顔を見ていると、怒りがこみあげてきます。
カテゴリ: 門主のお話 | 2011年04月18日 | コメント(3) | No Trackbacks
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