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8月護摩のお話

8月護摩のお話

暑い中をお参りいただきましてありがとうございます。
今夜の満月は良く見えると思います。

8月15日の終戦の日のNHKスペシャルご覧になりましたか?

私は非常に興味を持って見ました。

昭和20年全ての戦力を失っていた日本の戦争指導者達は何故
戦争を早くやめられなかったのか?がテーマでした。

以下その放送の要約です。

当時、最高戦争指導会議には外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長等の6人がいて、その合議で最終結論を出し御前会議にはかる仕組みであった。

6人は天皇の下に平等で、簡単に言えばそれぞれの部署の利益代表であったため、6人の内、誰も日本全体の利益代表でなかったことが悲劇となった。

最近明らかになった事実は、昭和20年2月ヤルタでソ連は英米と
日ソ不可侵条約を破って対日参戦することを密約していたことを、
日本は海外の諜報活動によって、早くから軍部上層部に伝えていたことが判明した。

ソ連参戦のことは、永らく終戦間際に突然ソ連が参戦したことになっていたが、6人の中にはその事実を複数の人が知っていた。しかし敢えて伏せられ、ソ連参戦についての対応策が協議されることはなかった。当然天皇に奏上する機会は失われた。

6人は早期に戦争終結しなければいけないと、個人的には承知していたが、最後に一発敵側にダメージを与えてから、和平交渉を進めたいという甘い認識と本土決戦、玉砕といった軍部主戦派の力を押さえられなかった。

また最初に作られた作戦に合わない情報は排除された。
また降伏した時、国体の護持はどうなるのかとの問いが出されると議論は止まった。

5月ドイツが降伏した後、ソ連の関心は一機に極東に向かった。ソ連が日本への対日参戦を英米に合意させていたことが、6人の共通認識になっていれば、外務省はソ連と和平交渉をしなかっただろう。空しく時が流れた。

6月にスイスの武官が、今ならアメリカが交渉に応じるという情報を送っていたが、海軍大臣がアメリカの陰謀であるとの判断で無視された。

そして徒に時が流れ、7月に米国は原爆実験に成功。2個の原爆。
ソ連の参戦。シベリヤ抑留。等々。

昭和20年に入って終戦までに亡くなった人はある集計では30万人。

私はこの一連のどうしようもない流れに、現在の日本の官僚と政治家の無能な行動が非常に似ていると感じました。

國際競争力を失う30%の円高。シャープの経営不安は氷山の一角で雪崩をうって日本の産業が崩壊していき、優秀な技術や技術者が中国、韓国等に流出。日本は本当に大丈夫なのかと心配です。

単純な市場介入ではなく円高を止める方法はいくらでもあるはずだと専門化が指摘していますが、その決断ができ、実行できる立場にいる人が実行しない。おかしいおかしいといって時が流れて行く空しさです。

戦争を早期に収束出来なかった6人。今まさに同じ様に、しかるべきポストにいる人が、責任をとらず、何もしないと思います。

どうしたらいいのですか。

この事態は暴動が起きて可笑しくないと思うのですが。
この国が日本でなく他国であれば。

伝教大師のお言葉に一隅を照らす、というお言葉があります。
与えられた自分の全てを投げ打って周囲を照らしていこう。ということですが、トップにいる人間は照らす範囲が日本全体とか、世界とか広くなるのです。

せめて我々一井の人はそれぞれ小さい範囲であっても、しっかり己の持分を自覚し、周囲を照らしていきたいものです。

このやり場のない思いを込めて、暑い暑い護摩供をお勤めいたしました。

慈晃 拝

カテゴリ: 門主のお話 | 2012年08月31日 | コメント(1) | No Trackbacks

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