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6月護摩のお話し
満月護摩にお参りいただきまして有り難うございます。
台風一過気持ちの良い護摩日和となりました。
少し前に読んだ本のことをお話しします。
新聞に広告が大きく出ていて興味があって購入しました。
著者 内海聡(うつみ さとる)さんの『医学不要論』という本です。
前々から私自身思っていたことと、非常に近いお考えを書かれていて、まさに我が意を得たりとの感を深くしました。内海さんは内科の若手現役医師であることが一層本書の説得力を高めています。
何か病気の症状が出たら、我々は躊躇なく医者や、病院に行ってそこの先生の指示に従うことにあまりに従順ではないかと思います。
本書で主張されていることの根本は、西洋医学の目指すところは、その病気の症状を科学的検査で徹底的に調べたとしても、おおよそどの医師にも当てはまることですが、治療方は、ひたすらその症状を和らげる薬の投与、つまり対症療法がメインである。と。
その症状が起きた原因を調べて、その原因を取り除くことが、本来の医者の本業にも拘わらず、残念乍、そのような診療は殆んど見受けられないと云っておられます。同感です。
そして多くのケースで医者はその原因さえ分かっていないのだと書かれています。
現在の西洋医学は、ひたすら対症療法であって、しかも多くの場合「薬」を処方するだけです。
ところが本書ではその薬がどんなに危険なものであるかを、事例をあげて記しています。
たまたま今日の京都新聞に、厚労省が食品添加物のアルミ規制との記事がありました。
菓子パンやケーキの一部に添加物として含まれるアルミニュームに関し、許容摂取量の基準値を設定して規制する方針を固めた、と報じられました。多量に摂取すると腎臓障害を起こしたり、本書の別の所では、認知症になるとの研究も書かれています。
さらにアルミニュームは胃薬に極めて多く含まれていてそれは、WHOの基準を大きく上まると指摘されています。
胃がむねやけや、潰瘍の痛みを発するのは、身体の異常を知らせている信号なのだ、原因を調べてくれとの発信である。それを無視して胃薬を飲むのは何等根本解決ではない。
ましてやその胃薬にアルミニュームが相当量の%で入っているとすれば、結果は悲惨なものがあると述べておられます。
著者は結論として、健康でいるためには、医者にかからず、病院に行かず、どの薬も危険があるので、極力薬を飲まず、そしてその原因を正す食事療法や生活習慣の改革によって、人間が本来持っている治癒力に委ねるべきであると云われています。
癌の対処療法である、放射線、抗癌剤は結果として、その人の持っている寿命を縮めている。
そして、体内から毒を排出し、体外から毒(薬や抗癌剤など)を入れない。
これが健康であるための処方箋であると云われています。
私はこれに加えて神仏に祈ることが非常に大切であると思っています。
祈りは自分を越えたものです。病気の原因を取り除くといっても判らないことの方が多いと思います。
判らないことを越えること、自分を越えた存在、つまり宇宙にも似た大きなものに身を委ねることだと思います。
そしてその大きな力を自分の中に取り入れる。インプットすることで、分らなかった原因にふと気がつくこともできる。
良いもの、大きなものを入れ、毒を入れず、毒を出す。
著者は宗教はきらいだが哲学的にものを考えるのはキライではないと最後に書かれていますが、
私は著者の云う哲学的にということは、宗教の領域に接していると思うのです。
そのような思いを込めて、ご参拝の方々とお不動様の護摩をお勤めしました。
カテゴリ: 門主のお話 | 2013年06月24日 | コメント(0) | No Trackbacks
今夜の満月はすばらしいと思います。
一寸暑いですが、晴天の初夏の陽射しの中に時おり吹き抜けるそよ風がとても気持ちよいです。
5月の満月護摩にお参りありがとうございます。
池の水が透き通っているのに気が付かれましたか。
4月の下旬に池の浚渫をしました。水を全て汲み上げ、溜まっていた汚泥を除去処分したのです。
前回から8年ほどたっていましたので。
実は池にいた鯉が、新たに購入した鯉の病気が感染し全てに蔓延してしまい死んでしまったため、一度徹底的に池の掃除をしなければならなくなったためです。
今後はこの教訓を生かして、新たな対策を講じて行かなければと考えています。
ご拝観をいただく全ての方々が美しいと感じていただき、癒しのひと時をお過ごし頂けるようなお庭にしていきたいと思っております。
門前のクスノキが新緑の葉に全て衣替えしました。今が一番すばらしい。
クスノキは常緑樹ですが、春先から初夏にかけて古い葉を落としながら、新しい葉に替えていきます。
青蓮院のクスノキは京都市の登録天然記念物に指定され樹齢800年と伝えられる大木です。
この時期落ち葉の清掃と片付けが年中行事のように大仕事になります。
神社のご神木のように、お寺や神社には巨木、銘木がつきものですね。
それは、その木がご本尊やご神体に守られているからとも、ご本尊やご神体のお力がほとばしって出ているからとも考えられます。
私はご本尊熾盛光如来や、その化身でいらっしゃるお不動さまのお力が顕れているものと思います。
このクスノキは過去何百年もの年月をかけて、大地の水や、土の恵みを吸い上げ、
太陽の巨大な力を取り込んできました。
この偉大なクスノキから溢れ出るパワーは、ご本尊とお不動さまの力でもあると思います。
皆さんこうして毎月お参りいただき、お不動さまのお力をいただくと同時にこのクスノキの気を吸い取ってお帰りいただきたいと思います。
お不動さまのご利益の他に、このクスノキの気をしっかりと取り込んで下さい。
お身体の芯から浄化し、お身体の健康のために是非おすすめします。
早朝門前にいますと、このクスノキに触れにくるのを日課にしていらっしゃる方が何人もおられます。
この5月14日、比叡山では全国の天台宗の僧侶の代表が結集して、慈覚大師の1150年の遠忌法要を勤めました。
慈覚大師は、天台宗では伝教大師最澄に次ぐ偉大な存在です。
青蓮院のご本尊も、慈覚大師が唐から招来され、比叡山にて勅許を得て国の安泰、皇室の安寧、天変地異の鎮静を祈願し、門跡寺院の開創からご本尊としています。
今皆さんが拝んでいらっしゃるお不動さまは、このご本尊の化身です。
慈覚大師は、日本に念仏を唱えることをもたらされました。
また良く皆さんのお馴染みの写経も慈覚大師が比叡山の横川で始められました。
その時大師は身体を壊し、衰弱していたのですが、法華経を写経している内に全快しました。
その後東北地方に布教の行脚をされ、数多くの今に残るお寺を建立しました。
大師の徳を頂き、及ばずながら日々をお勤めしていかなければとの思いを深くいたしました。
三浦雄一郎さんが、世界で初めて80歳の高齢で、エヴェレスト登頂に成功されました。
しかも3回目とのこと。世界中の人々が賞賛しています。
私は、雄一郎さんが、宗教とどのように関わりをもっていらっしゃるか知りませんが、
この登頂成功に至る雄一郎さんの歩みそのものが、仏道だと思いました。
以下のことは折にふれ申し上げていることですが。
人は誰でもまず何かをしようと思います。
それをしっかりしたものにするのが、願いです。
ああしよう。ああなりたい。
ここまでは普通に誰しも思います。
次は祈りです。ここからが宗教の範囲といえます。
単に願うのではなく、強く堅い願いであり、非力な自分を越える力をいただくことになります。
しかしこの祈りの段階でもまだ充分ではありません。
次は繰り返すということです。
皆さんここでは、お不動さんの真言を繰り返し唱えていただきますね。
真宗さんなら、南無阿弥陀仏です。
この祈りを繰り返すことが大変大切です。そうすると突然に、或いは自然に「ふと」こうしよう
といった行動が思いつかれるのですね。
それをまた繰り返し繰り返し行う。その先に成就への道が開けるのだと思います。
雄一郎さんは、周到な準備をされたと報道されています。
高度4〜5千メートルの希薄な酸素の状態を作って、その中で訓練されたり、重い錘を背負って足を鍛え、過酷な訓練を自らに課すこと、異常なまでの努力を積み上げてこられたようです。
お不動さまにお参りされ、どうか皆さんもしっかりと、それぞれの諸願の成就に向けて進んで
いただきたいです。
カテゴリ: 門主のお話 | 2013年05月25日 | コメント(0) | No Trackbacks
4月護摩のお話し
青蓮院のお庭の新緑のもみじが一際美しくなっています。
満月ごまにお参りありがとうございました。
4月4日から11日まで、比叡山に篭り、恒例の御修法に参勤してまいりました。
今年は普賢延命法といい、不老長寿を祈るものでした。
特に両陛下はじめ皇室の方々のご健康をお祈りいたしました。
青蓮院のご本尊を祀る熾盛光法も、4年に一度この御修法でお勤めすることになっています。
青蓮院では、毎年10月にこの法要を秋季大法要として、お勤めいたします。
昨日の新聞で皇后様が、お首の痛みが激しくご公務をとりやまれたとのことが報道されていました。
御修法でしっかりお勤めしましたのに、誠に残念です。
皇后さまが本当にお可哀想です。
お首が痛いのは原因が想像できます。
たまにお会いしたときに,、皇后様は人の話を本当に良く聞いて下さります。
お首を前に傾け、お身体もやや前のめりにされ、お身体全体で聞いていただき、お優しいお言葉をお掛けいただきます。
東日本大震災で被災者をお見舞いされているお姿や、方々のご訪問先での映像にも良くご覧になれるお姿だと思います。
また天皇陛下から常に一歩引いて控えめに付き添われ、こころもち前に屈まられていらっしゃいます。
さらに想像を絶するストレスをお受けになっていらっしゃると思います。
今回のお首の痛みは、そのうような内的、外的要因が重なったものと思います。
新聞には、「頚椎(けいつい)症性神経根症」という難しい病名がついておりました。
私は西洋医学はどうしても対症療法が中心と思います。
検査、検査と分析をして、治療となると、基本は薬です。
癌でも放射線、抗がん剤、外科手術。だけといっても過言ではないですね。
心は対象になっていません。
心をどうするかは精神医学の分野で、それも特別な病気のみが対象のようです。
我々は人間ですから、心と身体をもっていて、その複雑な相互作用によって生命の神秘な営みが成り立っていると思います。
皇后さまには、どのような治療をなさっているのか判りませんが、おそらく西洋医学の対症療法だと思います。
さらに、お首の痛みは心因性のストレスからきていると思うのです。 私はまず、お首を前に傾けられている、回数と時間の同量を、後ろに反らせる動作をなさったら良いと思います。
病は気からと昔の人は言い当てていました。
皇后さまの気苦労は並大抵のものではないと思います。
西洋医学では、総合的に捉えることをしないで、細分化し、分析して、薬で対処する。人間を機械の部品の集まりであるかのような考え方だと思います。
宗教は心を安楽にすることを目指しています。
つまり病気の原因になる、心にかかる重圧を取り除こうとします。
皇后さまのお側に行って、悩みを聞いて差し上げ、共に泣いたり苦しんで上げてお苦しみの重みを軽くして差し上げたい。
しかしながら、いくらそのようなことを思っても実現不可能ですが。
このことは我々も多かれ少なかれ、同じことだと思います。
周りの人に世話にならずに、健康で長寿であるために、心を安らかに保つために、
こうして毎月お参りいただくこと。お不動様のお力に委ねることが大きなお力になると思います。
西洋医学では理解し難いことですが、仏様に祈ること。お不動さまに祈ること。でストレスを和らげ自然に苦しみを感じなくすることが出来ると思います。
そこには、西洋医学にない、量り知れないものがあると思います。
カテゴリ: 門主のお話 | 2013年04月27日 | コメント(2) | No Trackbacks
3月護摩のお話し
今夜の満月は残念ながら見れませんね。
京都地方あちらこちらで桜が咲きはじめていますが、今週末から来週がピークでしょう。
大護摩堂建設の東山山頂将軍塚の桜はまだつぼみです。
将軍塚庭園には4年前に青不動ご開帳記念植樹の青不動桜(円山公園の円山桜のDNAをもち双葉から育てた桜です。)、海部桜、三春の桜、等々 随分増えました。開花が楽しみです。
将軍塚庭園は1月1日より、工事のため閉園していますが、桜の時期だけは特別に門を開きます。
京都市内の展望と共にぜひご観賞ください。
皆さんご自身のことでもそうだと思いますが、国の問題でも、どうしようもない難しい問題が多すぎます。
次々に起きることの中でも、私はTTPの問題は本当に大変だと思います。
この問題の根源にあるものは、一言でいえば、江戸時代末期の「黒船」と同じ問題だと思うのです。
黒船とはなにか。日本はアメリカ等から不平等条約を飲まされた。その半植民地の状態から脱却するのに、富国強兵政策。そして日清日露戦争という国力を掛けた戦いに勝って、独立の地位を確保したものの、その延長線から、1930年の日華事変を境に、無謀な孤立無援の道をたどり、原爆2個を見舞われ、アメリカの大きな支配の中に今もあると云わざるを得ないことは周知の事ですね。
国の農業の根幹に触れるTTPの問題、これほどどうしようもないことはないと思います。
どうしたら良いのか、ベストの答案は無いといえます。
いつも私は皆さんのため、お不動様に祈っています。
どうしようもないこと、自分の力ではどうしたら良いか判断できないこと。
とことん考え、悩みに悩み、必死に、そしてまさに寝ても覚めても考えても、答えがでない。
そのような時、私はお不動様に祈ります。
自分を越えた仏様の力に委ねる。全てを投げ出して委ねる。自分を捨てるということと同じかもしれません。信じるものに投入する。その中で 私、私、、、、、の闘いを越えることができます。
TTPの問題もこのようにお不動様に祈り、そして考えました。
私なりに至った所をお話しします。
まず黒船の到来の前に既に日本の農業は行き詰まっていたと思います。
明日の担い手のない高齢者が耕作する農地の面積が何%なのか数字は知りませんがかなりあると思います。
多くの問題を抱えながら抜本的な改善策が講じられないまま、既得権の擁護、農家の保護のため、あらゆる法律や仕組みががんじがらめに構築されてきてしまったと思います。
そのため、競争力を発揮して、如何に安くておいしいお米を作るか、死に物狂いの努力を怠ってきたと思います。
その間海外では、良質で安価な米を大量に生産できるようになって、日本との格差はさらに拡大していったのではないかと思います。
しかしながら、米は日本民族にとり、存続の根幹でもあります。
今全てを解放して、何等の措置も講じなければ、既に衰退している日本の農業は壊滅的に崩壊すると思います。
その時何が起るのか?
私は2つあると思います。
1つは、何時の日か、理由は色々あると思いますが、主要な米供給国が、突然あるいは、段々に日本への輸出を禁じるか、制限することが起きた場合、既に荒廃した農地は即座に元には戻らないと云われています。
そして、米供給国は日本の足元をみて、米の値段を吊り上げてくるでしょう。日本は高い米を買わざるを得ず、場合によってはお金を払っても売ってくれないことの可能性も完全に否定することはできません。
原発でもあれだけの地震、津波を想定していなかったのですから、以上の可能性を否定することはできないと思います。
2つは、耕作されなくなった農地は、都市近郊にあっては、住宅や、商業地、工場等に転用され、過疎の地にあっては放置され、草ぼうぼうの荒地となるでしょう。
山紫水明の国土、人の手が隅々まで行き渡った汗の結晶の大地が荒廃し、豊かな自然や、水源に重大な脅威をもたらすと思います。
そこでどうしたら良いのか。
ベストの答案は無いと思います。
政府や官僚の机上の論理の中のでは、極論すれば、農業のGDPが1%程度だから、その他の産業に多大な恩恵があれば、国全体として、農業に犠牲を払っても、トータルとしては国のためになるという思考だと思います。
しかし私は何としても日本の農業を残さなければと思います。
それでは、そのためにどうしたらよいのか。
お不動様に祈り、一つの方策を思いました。
既にどなたかが提言されているとは思いますが、また総理大臣でもないので、こんな話をしてもはじまらないと云えばそれまでです。
でも「黒船」なんですから、日本人全体で必死に考え、世の中に訴えていきたいです。
このブログも読んでいただいた方が、何か感じて行動に移していただければありがたいです。
私は、まず第一に 全ての規制を撤廃して、だれでも農業に自由に参入できる環境を整え、国の補助を一切必要としない、国際競争力を備えた大規模専業農家(今は6ha以上)農業法人を早急に育成する。出来る限り税制面で優遇する。
第二に 零細農業であっても、兼業農家として、自活できるよう国があらゆる方策をもって支援していく。兼業農家の奨励。生産された農産物は主に自給的に消費される。(国土を守ることが目的)
第三に 上記以外の内外価格差を埋める補助金や、政府買い上げ等の助成は一切行わない。
この中では、やむなく農業をやめる人々がでてくることも止むを得ない。
あくまでも農業に従事する人が、自活し、工夫し、農業が魅力ある仕事として豊かな職場となることが基本。
有名企業に就職する若者が、同じ選択肢の中で農業を選べるような、農業を目指す。
そのような農業に作りかえる。
私は、このような議論を国会の中で、与野党が建設的に語り合うべきと思います。
国会は質問のしっぱなし、政府は官僚の答案の読みっぱなし。
後は政府の委員がかってに決めていく。
ある意味国会は単なる儀式の場。
これでいいのか。
何等かの形で多くの人の想いを表面に出し、解決に導くことができないか。
私は宗教が果たすべき分野と考えています。
黒船 黒船
南無青不動明王。
慈晃 拝
カテゴリ: 門主のお話 | 2013年03月27日 | コメント(2) | No Trackbacks
2月の満月護摩をお勤めしました。
連日寒い日が続いています。
インフルエンザが流行っていますし、風邪を引かれた方も多いのではないかと思います。今年は例年になく寒いようです。庭の手水鉢もよく凍ります。大雪はありませんが頻繁に雪化粧しますね。
寒い中を良くお参りいただきありがとうございます。
この2月15日はお釈迦さまの涅槃に入られた日です。各お寺で、様々な儀式や法要をお勤めのことと思います。
私共では、京都の天台宗寺院が真如堂に集まり、涅槃会を行っています。
お釈迦さまは涅槃に入られる前に次のお言葉を示されました。
「自灯明、法灯明」です。
決して他を拠り所とせず、自らと法を、灯明とせよ。ということですが
この意味を私なりの理解でお話しさせていただきました。
灯明とは、お仏壇や、仏前にともす明かりですが、周囲を明るく照らすことで、よりどころということです。
つまり自らを灯明とすると云うことは、自らを拠り所とせよ。と云うことです。
全ては私だけ。
私が聞いて、感じて、思う。
私がなければ全てない。
様々に世界が動いても、私の目、耳、鼻、舌、身体、心で感じるものが全てである。
安倍さん、オバマさん、プーチンさん、習近平さん、がいます。
またオスカーのスター達、また大震災で苦しみの中にいらっしゃる人々、様々に世界は動き、複雑でとらえどころがない。しかも全ての現象が移ろいで行く。
でもそれらを、私の目や心で感じ、私がはたらきかけ、関わっている現実に向かっているのは貴方でなく私でしかない。
私が死ねば全ては見えなくなる。
逆に私が死んでも、他の世界はそのまま未来に向けて進行していき、歴史が刻まれて行く。
でも生きている私は貴方ではない。私。つまり私以外の「他」ではない。
だから 決して他を拠り所とせず、自らをよりどころとせよ。と説かれています。
しかし、その「自ら」はよく見てみると、極めて不安定で、絶望したり、欲張ったり、怒ったり、怠けたり、とても拠り所とするような代物ではなさそうですよね。
でも人それぞれに仏性といって、尊い心や、暖かい心、向上心を持っています。
しかしどちらかと云えばそれは弱い。
釈尊はその弱い心をしっかりと大きくして強くもつこと、そしてその弱い心を拠り所とせよということだと思います。
その弱いものを強く引き出すために、お不動様がいらっしゃる。
強く引き出すために 「法」がある。
法、つまり 「仏さまの教え」を拠り所とせよ。と云われたと思います。
さらに難しいことを云えば、釈尊の法、教えの中心は慈悲です。
慈は自分の一番大切なものを、惜しみ無く他に与えること。
悲は他人の苦しみ、悲しみを全て引き受けること。
慈悲は自分を捨て、全てを他のために尽くすことであり、釈尊は、それが真の幸せへの道である。と説かれています。
ほとんど我々の普段の行動の逆のところに真の幸せがあるのですが、究極の法灯明は、この実践にあるのです。
我々は少しでもその気持ちを持って行きたいと思います。
今夜の京都地方、雨の予報です。
残念ながら満月は見れません。
慈晃 拝。
カテゴリ: 門主のお話 | 2013年02月26日 | コメント(0) | No Trackbacks
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