青蓮院ブログ

トップ > 門主のブログ

11月護摩のお話し

みなさん今日は。
ようやく京都の紅葉が見頃になってきました。
3連休の中の日もあって、京都中が大賑わい。人出はこの秋一番になったようです。交通渋滞でお詣りの方が大分遅れてこられました。ご遠方からのお詣りの方には大変ご苦労様でした。そのような中でお詣りいただき本当にありがたく思っています。
京都大学の山中伸弥先生が、21日まさに世界中を驚かせたノーベル賞級の研究成果を発表されました。
皆さん既に各種報道によってご承知のように、人間の皮膚等の通常の細胞から、ES細胞を作ることが可能になったとのことです。まさに夢ののようなことが現実になったわけです。自分の皮膚等の細胞から、心臓とか神経や骨といったあらゆる種類の細胞をつくることができるとのことで、いままでは生殖細胞つまり受精卵から取り出すことしかできなかった為、倫理上の大きな問題があったわけですが、この難問が一気に解決できることになりました。
しかもこのような大研究を日本人が成し遂げた訳です。こんなにうれしいことはありません。
世界中がこの最先端の研究に凌ぎを削っていたそうです。また山中先生のご研究を突破口として、今後は不可能であった病気の治療に革命的な進展が期待できるとのことです。
しかしながらこの大研究は、倫理上の問題は解決したわけですが、生命の根源に関わる大きな問題を内在しているように、私は感じています。
漠然とした思いですが、この研究がさらに発展していくと、私は恐らく将来は人間のあらゆる部分が再生可能になるのではないかと思いました。脳細胞もどんどん替えて、その他身体全体がいつもみずみずしい若い細胞に取り替えが可能になるのではないか。つまり将来人間の寿命が永遠になることもあり得るのではないか。
生命、寿命について、色々な説があると聞いています。細胞は新陳代謝で常に作り替えられていますが、老いには勝てないのが宿命です。つまり細胞分裂の中にタイムマシーンが隠されていて限界を超えられない。細胞には宿命的な老いと寿命がある。そのメカニズムはまだ解明されていないそうです。今回の山中先生の大研究はこの問題に大きな風穴を開けたのではないかと思いました。
人間の欲望は限りが無く、何もかも思ったことを可能にしてしまうのではないでしょうか。
その一つの例が原子力を利用することを発見し、利用の仕方の最悪の到達点が原爆、水爆であったわけです。原子力は平和利用すれば、クリーンエネルギーですが、広島長崎の悲劇は現実のものです。
仏教は限りない人間の欲望をどのように抑えコントロールするかを教えています。
また与えられたものを受け止める、つまり受容することを説いています。いかんともしがたいものを素直に受け入れた上で、生かされていることを自覚する。生老病死の苦しみと真っ向から対立せずに、それぞれの苦しみを受け止めた上で、別に生かされている自分を見つけていくことだと思います。
生命の根源や謎を解き明かして、そこに能動的に立ち入り欲望の赴くままに人為的な作用を及ぼしていくことに対して、漠然とした不安を感ぜざるを得ません。
願くは、今回の山中先生のご研究が、世界中の研究者によって発展していく時に、原爆水爆のように悪用されずに、貪欲を抑え、節度ある利用方法のもとで人類の幸福に役立つものに進んでいって欲しいと思います。
ご感想をお寄せ下さい。
12月の納め護摩は12月24日(月)午後2時からお勤めします。
ご祈祷料がいりますがどうぞお気軽にお誘い合わせお詣り下さい。 慈晃拝。

カテゴリ: 門主のお話 | 2007年11月25日 | コメント(0) | No Trackbacks

10月護摩のお話

今日は
昨26日午後2時より月例の満月護摩をお勤めしました。折から雨模様となりましたが多数ご参拝をいただきました。
以下その折のお話の要約です。
天台宗ではこのほど有名な千日回峰行の「堂入り」を見事32才の星野圓道行者が満行しました。10月13日に堂入りして21日早朝の出堂まで9日間、不眠、不臥(ふが)(横にならないこと)、断食、断水、にてひたすら不動明王の真言十万遍を読誦、修法して不動明王と一体となる文字通り命がけの行です。堂入り前に既に700日の回峰行(比叡山から坂本まで毎日祈りながら徒歩にて巡る行)を済ませ、出堂から再び300日さらに距離を増して回峰行を行うものです。その中でも「堂入り」は、まさに死を覚悟して行い、医学的には到底説明の付かない身体の状況を克服するものとのことです。心の深いところから強い信仰に支えられなければ満行は難しいと思います。
私はとてもこのような回峰の行を行うことはできませんが、不動明王を祈ることでは同じ気持ちで頑張っていきたいと思っています。
最近また食品を扱う会社が次々と不正を行っていたことが発覚しました。既にニュース等でご存じの通り、老舗の赤福が、餅やあんを再利用したり、原材料の表示を偽ったりしていたことです。社内の隠語で「むきもち」「むきあん」といわれる行程があって、まさに生産工程の一部のように売れ残り製品が再利用されていて、またその処理の種類によって、ラベルの表示に巧みな印字までされていたとのことは、ただただ驚き呆れるばかりです。さらには比内地鶏として宣伝販売していたものの中にブロイラーが含まれていたとのこと、雪印や、ミートホープ、ハンナンの偽装牛肉、白い恋人の石屋製菓、不二家の期限切れ材料使用、等々枚挙のいとまなく、こうなると、多かれ少なかれ殆どの食品にこのようなことがあるのではないかと思わざるを得ません。
これらのことは全て「うそをつく」というひとことであります。仏教ではこの嘘をついてはいけないことを一番重要な戒、つまりいましめと位置づけています。諺に「うそは泥棒のはじまり」と云われていますし、一つ嘘をつけばその嘘を塗り固めるためにまた嘘をつかなければならなくなり、嘘の連鎖がおこりがちです。嘘をつくことは人をだまし、欺くことになり、さらに最も恐ろしいことは自分自らを欺いている訳です。一端嘘をついてしまうと次第に慣れっこになり麻痺してどの様に悪いことを及ぼしているかにも気が付かなくなってしまうのです。
赤福の問題はテレビや新聞、マスコミが大きく取り上げやり玉に上がっています。興味本位にとんでもないことだと思っておられる方が多いと思います。
しかしながらこの赤福の経営者がやったこと、嘘をつくということは、われわれ自身が同じように、嘘をつきやすい弱い人間だということを自覚しなければいけないと思います。他人事でないと思わなければいけないと思います。自らに問いて、恥ずかしくないよう、自分を偽らないように身を正していかなければならないと思います。
自分一人の心の弱さを不動明王の大きなお力によって助けられ、善いことを成就していくよう日々精進して参りましょう。善いこととはなかなか難しいことですが、いつも申し上げるように、自分だけのためでないことを行うことだと思います。

お話は以上ですが、以下はご案内まで。
明日27日より恒例の青蓮院ライトアップがはじまります。いつもお詣りのかたにはご招待券を差し上げました。秋のひととき、どうぞ親しい友人や恋人、職場の仲間、ご家族連れ、もちろんお一人でも、どうぞ。
紅葉は例年ですと11月中旬位いからです。
日常の煩わしさから離れて色々と物を考えたり感じたりしてみて下さい。
お待ちしています。
今日初めて護摩に参加した方に少し要領をお話しして終わらせていただきました。
一度護摩にお越し下さい。  門主 慈晃拝。

カテゴリ: 門主のお話 | 2007年10月27日 | コメント(1) | No Trackbacks

9月護摩のお話

 こんにちは。9月の護摩です。1ヶ月の経つのが何と早いことか。 10月も間近なのにまだ暑いです。
 今日は東京や神奈川からもお詣りいただきました。ありがたいことです。
 神戸の有名私立高校の3年生が自殺して、その原因がいじめによるものと判明、3人の同級生が逮捕されました。時津風部屋の新弟子が、やはりいじめと過度なしごきによって、稽古中に亡くなりました。いずれも、度を超したいじめや制裁であったことは明らかと思われます。
 両者に共通のことは、いじめや制裁があまりにも常軌を逸した、そして過度なものになっていたことだと思います。人を殺す所まで追い込むと云うことは、どんなにすさまじいものだったか。理性や冷静な判断が遠のき、感情と欲望にただ身を任せた、けだものの様な行為と云えます。
 今の世の中は、この事件に係わらず、なぜかとことんやってしまう傾向、つまり心(神経)が研ぎ澄まされているのか、逆に諸々の重圧で心(神経)が麻痺してしまっている状態にあるように思います。
 神戸の事件の場合、有名私立高校で、入学するためにまず凌ぎを削って人を蹴落としてまで自分だけ入れれば良いとの考えの生徒が多いのではないかと思われますが、入学してもさらに有名大学を目指すための熾烈な競争があるのでしょう。そのような中では自ずと自分だけ良ければ良い。裏を返せば人が苦しんだり損することが、気持ちの上で、はけ口になるのではないでしょうか。
 佛教の教えでは、人にはそれぞれこのような悪い心もあるが、同時に人の為に尽くす、人を思いやるやさしい心も併せ持っている。出来るだけ悪い心(煩悩)を抑えて、善いことを行うよう努力しよう。と説いています。
 私は佛教の教えが人々の中に実践されて行けば、このような事件は起きないと思います。たとえ起きるとしても尊い命が奪われるまでに至らず、ほどほどのところで止まるものと思います。
 今青蓮院では、東山の山頂の飛び地境内の将軍塚に国宝の画像青不動明王をおまつりする防火、防災の本格的な護摩堂の建立を計画しております。(現在の青不動像はやむなく複製の画像にお移り頂いて、本院内の本堂にて日々のお勤めを厳修しています) 
 この東山山頂の将軍塚の地は、京都市内を大パノラマで一望に出来るばかりか、紅葉、桜、桃の名所の境内庭園の中にあり、春、秋の景観は大変すばらしい所です。ここに皆様の心の安らぎとなる、そして佛教の教えにご縁を結ぶ道場を建設したいと思っております。
 今日本人の心の中が、すさんで風が吹き抜けているようにも思います。この道場から広く、多くの人に佛教の教えの暖かさを発進したいと念願しています。
 護摩のご参拝者にはご寄進ご協力の輪を拡げていただきたい旨お願いしています。詳しくは本ページの青不動明王ー大護摩堂建立を御覧下さい。
 このブログお読みいただきありがとうございました。ぜひ一度、満月の護摩にご参拝下さい。ご参拝の折にはこのブログを見たと。
 10月の護摩は、10月26日午後2時からお勤めいたします。        門主 東伏見慈晃 拝。
 
 
 

カテゴリ: 門主のお話 | 2007年09月28日 | コメント(1) | No Trackbacks

8月護摩のお話し

 まだまだ日中は厳しい暑さですが、ようやく峠を越えたようです。
今日は皆既月食でしたが、残念乍、雲がかかって見ることはできませんでした。

 8月の満月護摩では、去る8月3日、4日に国立京都国際会館と、比叡山根本中堂前にて行われた、「世界宗教者平和の祈りの集い」に、天台宗僧侶として参加する機会があり、その時の感動をお伝えしました。
 この催しは、日本宗教者代表会議が主催し、比叡山宗教サミット 20周年を迎え、世界のあらゆる宗教者の代表、約2千人が集い、祈り、意見を交わした有意義な大会でした。
 世界の宗教者の代表。 まず佛教は中国、韓国、インド、スリランカ、カンボジャから参加、神教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンデウー教、ゾロアスター教等のそれぞれ宗派を代表する人達が参加しました。
 そして統一テーマに「和解と協力」をかかげ3日には各宗派代表によるパネルデイスカッションが行われ、世界の平和実現のために、宗教指導者がどのような考え方をもって、取り組んでいるか、意見交換が行われました。
 イラク等の現実の紛争に宗教者はどうすべきか。
 このことで各宗教者が全て一様に述べたことは、それぞれの教えは皆、人を愛し、他を尊重することが根本であって、憎しみをかりたてたり排他的な教えではない。そしてどの宗教代表者も、他の人、他民族、他国、他宗教を理解し協力することの重要性を強調する言葉を、シャワーのように発していました。
 ただそれでは現実は何故そうならないのか。その原因について、共通して強調されたのが、貧困、経済格差、そして民族の対立と侵略されることの恐怖、それらが根本にあって、そのの土壌に政治指導者の宗教利用が問題を深刻化するという意見でした。
 ボスニアヘルツェゴビナから6人の少女が参加しました。ボスニアコミュニテイーガーデンの共同農園に暮す
少女達です。内戦で25万人の死者、200万人の難民。まだ現在でも紛争は解決していないのです。セルビア人、クロアチア人、モスレスム人が殺し合い、それぞれの宗教が対立を一層深刻化させた悲惨な歴史です。
 しかし今この共同農園で、民族と宗教を超えて互いに共同して作業をする活動が少しづつ軌道に乗ってきたそうです。彼女達が戦争の頃描いた絵は戦車や、兵隊や死者だったそうですが、壇上に上がって披露してくれた絵は、未来への希望や仲間や宗教間の協調を表した暖かいすてきな絵でした。
 8月4日、比叡山に集合した世界の宗教代表者達によって、それぞれの祈りの作法によって、平和の祈りがささげられました。世界の平和という一つの同じ目標に向かって祈りがささげられたのです。祈ることがどんなに大切なことか。思うこと、祈ることは行動することと同
じ意味があると私は思います。
 そして比叡山メッセージ2007として世界に向けて発せられました。
 日本人は同一民族で、他国からも侵略されにくい島国であり、今は経済的に恵まれ、餓死者が路上に倒れているということもありません。
 われわれは世界の中で極めて恵まれた民族であり、国家であることを日頃は気が付いていないと思います。 また他国に比して大部分の人があまりにも宗教に無関心なっているように思います。
 そのようなことを考えさせられた日でした。
 皆さん日頃身の回りのことに忙殺される毎日だと思います。
 その中で少しでも、世界の平和のこと、世界の貧困や飢餓のこと、民族のこと、宗教のこと、日本の役割、そして自分が何かできないか、政治家にまかせておけないのでは、等々皆さんが色々と思うことだけでも大切なことだとお話しして、護摩供のお勤めをいたしました。

 来月の護摩は9月27日午後2時からです。お参りお待ちしています。
                           慈晃

カテゴリ: 門主のお話 | 2007年08月29日 | コメント(0) | No Trackbacks

初めまして

こんにちは初めまして
青蓮院門跡 門主 東伏見慈晃 と申します。
青蓮院では此の度 この7月より 青蓮院ブログ を始めました。
青蓮院では毎月、満月の日、午後2時より 青不動明王の月護摩供を修しています。青蓮院ホームページでその概要については一通りご紹介していますので、ここでは改めてご説明しませんが、今日 7月30日は満月で、恒例の月護摩供をお勤め致しました。お堂が手狭でご参拝者が30名ほどでいっぱいになってしまいます。
 護摩の修法に入ります前に毎回、門主からお話をしています。今後、青蓮院ブログでこの月護摩のお話を記して行きたいと思っておりますのでお読み頂ければ幸いです。そしてご興味がありましたらぜひ護摩供に参拝されますようおすすめします。
 
 7月護摩のお話

 『水からの伝言』 江本勝さんの125点の水の氷結結晶写真集を、たまたまあるところで目にして、興味深かったのでご紹介しました。雪の結晶はなじみ深いですが、水を氷らせてその結晶を写真にしたものです。日本や世界の銘水がきれいな結晶で写されている中で、東京、ロンドン、パリの水道水は結晶していません。
淀川や、琵琶湖の水もそうです。興味深いのはモーツアルトやベートーベン、川の流れのように、などを聞かせた水の結晶は美しいのです。そして人の心の状態を表した言葉、ありがとう、愛と感謝、しようね、等を聞かせた水の結晶はそれぞれ美しい結晶になり、逆に馬鹿野郎、むかつく、殺す、きたない、しなさい、などはどろどろとしたものに写っています。これが本当ならすごいことだと思います。人の思いというものがいかに強く、また大切なものか、目に見えた形で表わされています。
 胎教が大切と昔から云われています。最近はモーツアルトが良いそうですね。胎内の我が子にやさしい言葉をかけ、良い音楽を聞かせることが大切なことが、この水の結晶のことを考えると本当に頷けます。家庭内暴力等で不幸にも夫から、母胎が暴力や罵声を浴びたなら胎児の段階で深い傷を負ってしまうのではないでしょうか。
 普通に私達の生活の中でも、自分の発する言葉が人を傷つけているかも知れません。
 良いことを思うことと、悪いことを思うことが、こんなにも違いとなるのだと思います。
 護摩のご祈祷の最中にそれぞれのご自身の思いを込めて祈っていただき、私は皆さんに代わってお勤めいたします。皆さんはこの水の結晶が表しているように、良い思いを込めてしっかりと思いを込めていただきたい。祈っていただきたい。良い思いとは、常に護摩供の時に申し上げていますが、出来るだけ自分だけのためでない、誰かのためになるように強く思っていただきたいのです。難しいことですが。
 他にも色々申し上げました。ご興味のおありの方は一度ご参加下さい。     
 
 

カテゴリ: 門主のお話 | 2007年07月30日 | コメント(8) | No Trackbacks

<<   2025年01月   >>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

青蓮院のご感想はこちら

カテゴリ別メニュー

最新記事

アーカイブ

検索

ページトップ