青蓮院ブログ

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3月護摩のお話

今日は。3月の満月護摩です。

今日は寒の戻りで寒い日になりましたが良くお参りいただきました。今夜の満月はきっと凛とした美しさだと思います。

先月の護摩の時にご案内した、今秋の青不動さまのご開帳記念さくら献木植樹は、昨日の10日が締め切りでした。ご参拝の皆様はじめご縁の方々のお申し込み多数ありがとうございました。

枝垂桜は樹齢500年位と云われていますので、銘板に彫られたお名前が桜とともに子々孫々まで残ると思います。
円山公園の桜の孫桜ですので、植樹する将軍塚の場所からいって将来京都を代表する有名な桜になるでしょう。

先月の護摩の時、仏教の教えの「無常」についてお話しましたが、今日はそのことをもう少し掘り下げてみたいと思います。

無常とは常で無いことです。

我々はややもすると今の状況がずっと続くと思いがちです。そして未来は今を前提にしてその延長線上にあると予測しています。

明日も今日と同じ様に生きていて、予定があり、目標がある。それが当然と思っています。

しかしながら仏教では、我々は刹那に生滅しているとしています。直前の自分が死んで今また新たに生まれている。死と生は隣り合わせで繰り返している。

過去と現在と未来は継続してつながってはいないのです。過去と未来とは刹那刹那に切り離され、今と云う瞬間のみに自分が存在しているのです。

生まれてから現在まで、我々の身体は新陳代謝を繰り返し、死に向かって確実に変化しています。昨日と同じではないのです。我々を取り巻く森羅万象もことごとく一時の猶予なく変化しています。

つまり諸行無常です。諸々の事象は一時も同じではないのです。

今起きている世界の経済金融恐慌はまさしく諸行無常の実例の1つと云えます。

それでは我々は今を刹那的に生きれば良いのでしょうか。

仏教では我々は無常であると同時に、縁によって今があると教えています。

一番身近な縁は両親によって自分があること。そしてその両親には又それぞれ両親があって、無限に遡って繋がっています。

それぞれの両親にそれぞれの人生があり、その人生には多くの人や事象の係わりがあった。つまり縁があった分けです。

その最後の結果として自分が存在していることは、自分では想像のつかない無限の縁の結果として、今があるということだと思います。

そして未来の縁にたいしては、唯一自分の意思が影響を及ぼすことができるのです。

自分がこうしたい、こうありたいと思うこと、によって次の刹那の今の自分が、新しい縁を回りの人や事象と結んでいくのです。そこには直前の自分とはまた違った縁が生じるのです。

良く人生は出会いといいますが、ただ出会うのではなく、出会う前に既に自分の意思が働いてその出会いに至っているわけです。

先ほどAさんの息子さんが、難関の高校に見事合格されたことを聞き、まさにこの縁のことに当てはまると思いました。
もちろん心からおめでとうを申し上げ、お不動さまのご加護に感謝しました。

Aさんは、息子さんを厳しく躾ておられましたが、ある大学を目指して、この高校でなければと一校に絞って受験させるのだと、先月の護摩の時に云われていました。

つまり不合格になったら多分高校には進ませないんだな、とその時私は思いましたが、息子さんには大変なプレッシャーだなと思いました。

これはAさんの強い意志であったことは間違いないですし、それを受けて息子さん自身も合格を目指して強い意志を持って精進したと思います。

その結果が見事合格となりました。

さらに息子さんはステップアップして、憧れの大学に入りそこで良い先生にめぐりあい(縁)、大きな研究や、発見をするかもしれません。

仮に不合格であったら、一校に絞ったというAさんの意思によって、高校、大学へと進学することを息子さんは断念させられて、違う人生の出会い、つまり縁に繋がっていくことになったでしょう。

このように、今をしっかりとした意思をもって生きることが、未来の縁を否応無く決定していくことになります。

お不動さまへの祈願で今日お参りいただいた皆さんは、それぞれの願い、つまり強い意思をお持ちで「今」があります。

そのようなお気持ちでしっかりと念じていただきたいと思います。

ただし、いつも申し上げるように、その思いや願いが、自分だけの幸せや利益のためだけでなく
できるだけ、ご自分以外の人やためになるよう願っていただきたいと思います。

それでは満月の護摩供をお勤めいたします。 門主 慈晃。


カテゴリ: 門主のお話 | 2009年03月11日 | コメント(0) | No Trackbacks

2月護摩のお話

今日は。初護摩からもう1ヶ月。

経済情勢は悪化の一方です。自動車各社や、家電、商社等、日本を代表する大会社の決算予想が軒並み最悪です。トヨタは創業以来そして戦前の昭和16年以来、初の営業赤字。パナソニックが赤字3800億円、1万5千人の人員削減。等々・・・・。

今後、本決算が確定する頃には、事態は更に深刻になっている可能性があります。

このようなことを平成19年夏、問題が表面化した時一体誰が想像できたでしょうか。

浅間山の噴火のような自然界のことも、人の未来でも、一寸先は何が起こるか誰にもわかりません。
しかしながら我々は、いままでの経験の流れという予想の範囲で行動し、何事も右肩上がりになっていくことを知らず知らず前提にしてしまいます。

人生は過酷で、苦難に満ち、経済不況の他にも、病気や、失業、家庭不和、裏切り・・・。
そのような地獄にはまり込んでしまうと、これ以上不幸なものはいないと自分をどんどん追い詰めてしまいがちです。

経営の神様と云われた松下幸之助さんの「不況克服の心得十か条」の第一条は、
「不況またよし」と考える。と教えています。

不況に直面してただ困った困ったと右往左往していないか。
不況こそ改善発展のチャンスと前向きの発想から、新たな道が開ける。

十円玉は普通に見れば円形ですが、真横から見れば、極めて細長い長方形です。

お不動様のお力をいただいて、ここにご参拝の間、一心に祈念していただく中で、ご自分を追い詰めずに、前向きの思いを強く持って、つらいと思うご自分の執着から離れてください。

現実という事実を変えることはできませんが、その事実に直面している自分は変えられるのです。

仏教はこの世の中の全ての営みは無常であると説いています。
つまり常で無い。全ては変わって行く。一瞬一瞬、刹那刹那が予想もできない違うものであると。

だからこそ、刹那刹那を、つまり一刻一刻を大切にしていこう。と説いています。

ここでお話は終わりますが、お願いがあります。

青蓮院ではこの秋、9月18日から12月20日まで、ご承知のように、この青不動様の青蓮院での
初のご開帳を計画しています。これは以前から東山山頂境内地の将軍塚に青不動様をおまつりする
大護摩堂の建立とそこを拠点にさまざまな活動を行っていく運動の一環でもあります。その資金を
広く皆様からご寄進によりいただいておりますが、ここで、さらに多くの方々にご縁を広げ
一刻も早い実現を目指すためのものであります。

この度この時期に全国に向けて活動されている、桜を植える会様より、このご開帳を記念して
桜植樹の献木をしませんかとのお話がありました。丁度時期にあった良いお話と思い進めております。
どうぞご協力いただけませんか。

普通はお1人づつ小さい苗木を植樹していただき、お名札を付けるのですが、今回青蓮院では
樹齢25年の樹高7メートルの枝垂桜1本を、皆さん共同でお植えいただくことにしました。
そしてお名前が銘板に彫られます。枝垂桜は樹齢500年位は普通ですので、子々孫々までお名前
が残ります。

この枝垂桜は、桜で有名な佐野藤右衛門さんが、円山公園の有名な枝垂桜の孫にあたる種の実生
から丹精こめて育てた銘木で、桓武天皇が都を定める決心をされたと伝えられる由緒ある将軍塚境内地
のほぼ中央に植えられます。

ご賛同の方は、青蓮院までネットのブログで見たとご連絡ください。詳細お知らせします。
よろしくお願いいたします。

それではまた3月11日の満月護摩でお会いしましょう。
門主 東伏見慈晃。九拝。


カテゴリ: 門主のお話 | 2009年02月09日 | コメント(1) | No Trackbacks

初護摩のお話

新年明けましておめでとうございます。平成21年の初満月の護摩をお勤めしました。

修正会といって、正月元旦にお勤めする法要があります。
青蓮院では元旦にご本尊熾盛光如来のご宝前でお勤めしていますが、青不動さまの修正会は今日の初護摩になります。

修正会の趣旨は、昨年一年に為した己の諸々の悪業を懺悔して、つまり悔い改め、深く反省して新しい年の無事と安寧を祈るものです。
昨年はご承知の通り、アメリカのサブプライムローンの破綻に端を発して、世界中に金融不況と恐慌が吹き荒れました。

汗水たらさず労せずしてお金儲けをしようと、投機的なマネーゲームに世界中の金融機関や機関投資家が狂奔した結果です。その被害を受けて真面目に活動していた一般の企業がとばっちりを受けて深刻な不況に追い込まれてしまいました。

まさに煩悩の塊、欲望を満たすため、競争の中で再現もなくこの煩悩や貪欲が増大していき天文学的な数値の損失が積みあがった分けです。

私はこの仕組みの考案から実行に移した全ての人々は、深く懺悔すべきであると思います。

同じように皆さんのそれぞれ過した一年に対し、まず深く懺悔、つまり反省していただきたいと思います。その上で今年の目標に希望と力を持って立ち向かいましょう。

今日ご参拝の皆さんのお申し込みの祈願内容で多いものに、心願成就、諸願成就があります。これは皆さんの心に抱いた思い、こうありたいと願うことですが、
昨年一年を振り返って、なかなか達成が困難だったのではないかと思います。
そのとき、出来ない理由を一生懸命探していませんでしたか?

お不動さまの護摩に参拝された折は、この心願、諸願成就のことをしっかり思って下さい。何らかの糸口をお不動さまが示される、心に自然と浮かんでくると思います。

自分だけ良くなればとの思いでなく、出来るだけ人にやさしく、人を許し思いやりを持って望んでいきたいものです。

既に皆さんご案内の通り今年9月18日から12月20日まで3ヶ月間、この青不動さまのご開帳を計画しております。今年が極めて厳しい年でありますので何とかお不動様のお力によって、無事乗り切っていただきたいとの思いからです。

青蓮院では青不動さまの大護摩堂の建立を東山山上の将軍塚に計画しております。
既にたくさんの方がご寄進に参加していただいておりますが、目標額が大きく中々達成しておりません。このため、この趣旨が1人でも多くのかたにご理解していただけるよう、このご開帳で、ご賛同を得たいと思っております。
どうかお誘い合わせご参拝、ご協力のほどお願いたします。

仏教では無常ということを説いています。
常は無いということです。
同じことはずーと続かないということです。
常ならず。なにが起こるか分からない。まさに去年はその無常な年でした。

一刹那の間でも常はない。何が起こるか分からないということです。
一刹那とは1秒の65分の一だそうですが、そのような短い時間でも同じままでは無い。
仏教ではだからこそ、刹那という短い間でもその刹那刹那を大切にしようと説いています。

今年この厳しい年であるからこそ、一刻一刻をしっかりと大切に生きましょう。
出来る限り自分以外の人にやさしい目をむけて、悔いの無い一年にして行きましょう。

今夜の満月は本当にきれいです。門主 東伏見慈晃 九拝。

カテゴリ: 門主のお話 | 2009年01月11日 | コメント(2) | No Trackbacks

12月納め護摩のお話

今日は。今年の納め護摩です。昨夜の月は本当にすばらしかったです。
満月の当日、見れるか分からないので、私は少し前から必ず見るようにしています。
皆さんにもお勧めしています。参拝の方に手をあげてもらったら昨夜殆どの人が見てくれていてうれしく思いました。

清水寺で管長さんが清水の舞台で大書される今年一年を表す漢字が昨日、「変」と決まりました。  
私は変だと思いました。

変の字そのものは、変化した、変わったという意味です。
確かにこの一年、変化しました。しかしこの一年は単なる変化ではなかったと思います。
今年は大変化、大変動の年、100年に一度あるかないかの変だったと思います。
つまり恐ろしい変であり、単なる変では表せません。「恐」か「凶」が今年を表す一字だと私は思います。

ソニーが1万6千人をリストラすると発表しました。
派遣の打ち切りで、社員寮を追い出される人の問題。来春の新卒採用内定の取り消し。
枚挙にいとまがありません。

アメリカの上院でビッグ3の救済法が廃案になりました。もし本当に倒産すると失業者は3〜4百万人と云われています。決裂は、共和党が提案した現地のトヨタ、ホンダ並みの給料水準への引き下げに自動車労組が応じなかったためと報道されています。

そもそもこの問題はご承知のように、発端はアメリカのサブプライムローンの破綻です。
世界中が労せずしてお金を儲けようとしてマネーゲームに狂奔した結果です。
つまりアメリカ発の害毒に見舞われました。

リストラ、これもアメリカ産の言葉です。新聞等の報道の中で、この字が書いてない日がないほどです。
いやな言葉です。日本の過去の雇用の中心は終身雇用制でした。企業は1つの家族でした。しかし
いつのまにかアメリカの思想に席捲されて、能力主義人事万能、終身雇用、年功序列は古いものとのレッテルが貼られました。

私はこの「恐」「凶」の時にあたり、日本はそろそろアメリカの思想から決別するべきではないかと思いました。
日本では、永らく礼節や、忠誠が美徳であり、その根幹に家族や家があったと思います。
高度成長を支えたのは企業において、従業員が一体となっていわば一つの家族となり、会社に忠誠を尽くした結果だったと思います。

もし自分の家族の一員に能力の劣るもの、病弱のものや、障害をもったものが出てきた時、リストラして切り捨てるでしょうか。

私は一万人の人をリストラするのは、残された人が前と同じ給料を貰おうとするからだと思います。
ビッグ3の労組は世界中に大問題を起こしかねない時に、自分達の給料水準を従来の通り維持しようとしています。

家族は家に入る収入が減ったら、その範囲で始末します。家族の一員をリストラはしません。
つまり、日本的な昔の家族主義的経営の考え方は、私はリストラでなく、全従業員が等しく負担する、給料をたとえば全員半分に、あるいは三分の一にしても雇用を守るということではなかったかと思います。そのような団結の力が試練を乗り越えた時、大きな発展への道につながるのではないでしょうか。

昨夜のりんとした美しい月を感じた時、地上に起こっているこのゴタゴタがなんとも情けなく小さいものに思えました。

月の営みは「不変」です。お不動様のお力も「不変」です。
この絶対的に変わらない力を信じて、そしてその力に守られて、これからもっと厳しさが増すことが予想される「恐」や「凶」にしっかりと対処していきましょう。 
 
来年の初護摩は1月11日に、来年の皆様の諸願成就を祈念いたします。
今ご案内をしていますので、お申し込みご希望の方はこのブログでお問い合わせください。

今年、私のブログを見ていただいて本当に有難うございました。
どうぞ良いお年を。 慈晃

カテゴリ: 門主のお話 | 2008年12月13日 | コメント(1) | No Trackbacks

11月護摩のお話

11月護摩のお話
今日は雲ひとつない天気です。今晩の満月はきっとすばらしいと思います。どうぞ皆さん今夜は満月に向かってお不動様をイメージして思いを込めて念じて下さい。
青蓮院のお庭のもみじも少し紅葉してきました。夜のライトアップにもお出かけ下さい。

日々様々なメデイアが報じていて良くご承知の通り、目下の経済状況は世界的な規模の金融恐慌となってきました。

日本はバブル崩壊後、破綻する金融機関に国民の税金をつぎ込み、辛酸を舐めてようやく泥沼から立ち上がった所でした。その教訓が覚めやらないことが幸いし、今回世界中の金融機関が被った証券化されたリスクの高い投資による被害を、結果的に最小限に食い止められたと思います。

従って事の起こりに対して対岸の火事を見るような、云わばひとごとのような思い、自分達は健全で問題ないとの認識が産業界全体にあったように思います。
しかしながらアメリカの不始末とは云え、巨大な資金の収縮は単なるマネーゲームの失敗に留まらずお金が回らなくなることは、実体経済が回らなくなることだということを、否が応でも知らされることとなっています。
しかも1929年と比べて現在は比較にならないほど世界経済が一体でありいくら自分が健全であっても大きな波の前で如何ともしがたく、無力だということを痛感します。
オバマさんが選ばれて大きな期待が掛けられていますが、この危機は彼によっても対処できないのではないか、並大抵の事態でないことを市場が示しました。

アメリカのために何故こんな目に遭わなくてはならないのか。日本はもっともっと強くアメリカに主張しなければならないと思います。さらに、その内アメリカの不始末にも拘わらず、いずれこの危機を打開するため日本への重い負担が要求されてくる恐れは充分にありましょう。そのためにも云うべきことを発言しておかなければと思うのです。

そもそもこの金融破綻の根本にあるものは何でしょうか。
まさに仏教で説いている、人の心の煩悩であると思います。
煩悩の中心は貪(とん、むさぼり)、瞋(じん、しん、いかり)、痴、です。
この内のむさぼりの人間の性こそが、今回の世界の危機のもとだと思います。つまり自分さえ良ければ良い、人の苦しみが自分の利益になる、自分だけが食い尽くすことを、お金を道具にして狂奔した結果だといえましょう。

本来お金が生産や労働の対価としての役割であった時は、お金は地に着いたもので、実態経済そのものを表していました。しかしながら、お金そのものが取引の対象となったところにこの問題を深刻化させた最大の要因があったと思います。そしてそのお金をむさぼりあったことが・・・・。

お不動様はこの人間の性の避けがたいむさぼりの心を焼き尽くす力をもっています。人は弱く、よほど心を強く保たないとむさぼりの心に負けてしまいます。お不動様への信仰によってこの弱い心に打ち勝てるのだと思います。

しかしながらもう事態はすでに起きてしまい、被害が甚大に現れているのですから、今どのように我々は対処したらよいでしょうか。

それぞれ皆さんの置かれた状況は分かりませんが、多かれ少なかれこの荒波に誰しも左右させられることは避けられません。今最良の対処方法は先月も申し上げましたが、お不動様を信じ、じっと耐え偲ぶことです。ご自分にとって予想される、ありとあらゆる悪い事態を想定して、地道に対処していくことをお心がけいただきたいと思います。

そしてお不動様を常に信じ、思いを込めることによって祈りの中から良い導きの糸口をつかむことが出来るように思います。

雲のひとかけらもない今宵の満月を拝すると、人間のこまごまとした営みが実にはかなく、いかに小さいものかとつくづく感じます。
その上でさらに深く強く、満月を感じ、お不動様と一体となることを思うことで、はかなく、小さい自分ではあっても、体の中に問題に対処できる大きな力をいただくことができると思います。  
                      慈晃 拝。

カテゴリ: 門主のお話 | 2008年11月14日 | コメント(1) | No Trackbacks

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