トップ > 御本尊「熾盛光如来」の曼荼羅
青蓮院では平安後期開創の時から「熾盛光如来曼荼羅」(しじょうこうにょらいまんだら)を御本尊としておまつりしてきましたが、幾多の戦乱火災等を経て、現在の御本尊はおよそ四百年前、桃山時代に豊臣秀吉によって復元再作成され奉納されたものです。熾盛光如来を御本尊とするお寺は、日本中で当青蓮院門跡のみです。この曼荼羅は約2メートル四方の掛け軸で、中心に熾盛光如来を表す種子(しゅじ、仏さまを表す梵字)「ボロン」が描かれた「種子曼荼羅」です。
中心の熾盛光如来は、大日如来の仏頂尊(頭の頂におられる極めて崇高な仏さま)で、偉大な仏の智慧と光を発せられています。熾盛光如来の上には、金色の一字金輪仏頂を描き、向かって時計回りに、観自在、金剛手、毘倶胝、赤色の仏眼仏母、不思議童子、文殊、救護慧の各菩薩が描かれています。その周りには熾盛光如来のお力を表した八つの月輪が描かれています。
周囲四隅には、四明王を配しています。向かって右上に金剛夜叉、右下に降三世、左下に軍荼利、左上に大威徳の各明王が描かれています。不動明王は御本尊と重なっています。
背景は、「群青」という極めて高価な青色の顔料で彩色されており、虚空(広大な宇宙)を表しています。損傷が著しかった為、平成17年(2005年)の御開帳の前に大修復を致しました。
その際に色の塗り直しは一切行いませんでしたが、今も変わらぬ美しさを保っていることに驚かされました。
「熾盛光如来曼荼羅」をおまつりして行われる正式な修法を「熾盛光法大法」と申します。
この大法は、慈覚大師円仁が鎮護国家を目的に、嘉祥3年(850年)初めて厳修したもので、天台宗における最も重要な修法の一つです。その祈願するところは、以下の三つです。
- 天変地異や疫病の鎮静・息災
- 日本国の安泰と国民の繁栄
- 皇室の安寧と外敵の侵略を防ぐ
青蓮院は天台密教の嫡流の一つとして、本尊にこの熾盛光如来を頂き、特に平安時代から鎌倉時代にかけては、宮中から中心的に勅命を受け、折々に天変地異の息災と皇室の安寧を祈願する役割を担いました。爾来、途中中断の時代もありましたが厳粛に引き継がれて、現在では比叡山根本中堂における毎年4月の「御修法」に於いて、4年に1度厳修されております。
現在、青蓮院では「大法」形式ではありませんが、毎年正月元旦の「修正会」と10月の秋期大法要に「熾盛光法」を厳修しております。秋期大法要では上記の三祈願と御参拝者の「諸願成就」を祈願致しますのでぜひとも御参拝下さい。
青蓮院のご本尊は平安時代より秘仏としておまつりされ、そのお姿に直接お参りしていただく機会はありませんでしたが、天台宗開宗1200年、戦後60年の節目に当たる平成17年(2005)秋、三ヶ月間創建以来初めての御開帳が行われました。
多彩な奉納行事も盛大に催され、全国から大変多くの皆様にお参りいただきました。上記の「熾盛光法」により開闢法要、中日法要、結願法要が厳修され、また、期間中絶え間なく法華経の不断読経が行われ、上記三つの祈願とすべての御参拝者の諸願成就を祈願致しました。
現在はまた、非公開となっており、そのお姿に直接お参りして頂くことが出来ません。
御本尊のお厨子の前には、お前立ち像が安置されております。その奥におまつりされる御本尊と共に、合掌して「ボロン ボロン ボロン…」とお唱えしてお参りして下さい。