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5月護摩のお話

5月も末なのに、肌寒く不順な天候が続いていますね。

まずARMS DOWN の署名にご賛同ご協力いただきありがとうございました。

WCRP 世界仏教者平和会議が世界の軍事費の  10%を削減して、そのお金を世界の貧困と飢餓の撲滅にあてようと呼びかけています。
 
天台宗では半田座主が署名し、全国の天台宗の寺院が檀信徒に呼びかけているところです。

昨日、宗内の近所のお寺で代々親しくしている住職さんのお葬式がありました。
私より5歳も若く(63歳)遷化され、驚きと悲しみ、悲嘆の極致でした。

10年前に癌が見つかり、治療をしてこられて、全く普通に活動されていたのですが、最近再発されて急に
ご容態が悪化していたのです。20日に虫の知らせか、お見舞いに行きました。

そのお寺は法住寺さんです。後白河法王をお祀りし、身代わり不動明王で有名です。ご住職は「いまよう」
の復興に勤められました。20日にお見舞いした時は、5月2日には壇ノ浦の赤間神社の先帝祭(40万人の
人出だそうです)で今様と天台声明を奉納をされたお話を元気にお聞きすることができましたのに、
24日に訃報に接するとは。本当に信じられません。後でご遺族に伺ったところでは、酸素ボンベを使い
車椅子で高台の拝殿までいかれたそうですが立派に法要をお勤めされたそうです。

この7〜8年で、立派な不動堂の建替え。庫裏の大修理。他数々の事業を息つく暇もないほどで完遂されました。

恐らく最後の十年で思い残すことのないまでに頑張られたのだと思います。

そして全く手の届かないところへ突然と遷化されました。人の命のはかなさ、無常を感じます。

仏教ではまさにこの「無常」を説いています。

無常とは常(つね)で無いということです。
人は今の瞬間瞬間に死んで、瞬間瞬間に新しく生まれている。つまり今日と同じ様に明日があり、
明後日があり、一年があり、来年があるのでは無い。

常(つね)にあり続けるものは無いのです。
我々はともすれば、今日の延長線に同じ様に明日がある。と思っています。本当は違うのですね。
今日出来なくても、明日やれば良いと、日伸ばしにしてしまうことが良くあります。
本当は常に同じ様に明日は無いのです。
ですからこの一刻一刻を大切に、いただいた命を生かしていかなければと思います。

良く死んだつもりで頑張れとか、死にものぐるいで頑張れとか、言葉にはいいますが、
割と軽く使われているように思います。

無常。今と同じ様に明日が繋がっていないということを、深く深く自覚して、
今を、つまりこの一刻一刻を大切に生きていくことなんだ。と改めて気づかされました。



カテゴリ: 門主のお話 | 2010年05月28日 | No Trackbacks

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その思いを伺うに、いかに政治屋の「命懸けで」の言葉の空虚・・・。情けない。

生きること、即ち修行人|2010年05月31日

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