青不動明王とは

信仰としての青不動国宝としての青不動

国宝としての青不動

厳かで華やかな礼拝画像

絹本着色 青不動明王二童子像

激しく燃え盛る焔(ほのお)を背にした青不動明王が、濃茶褐色の画絹に描かれた「絹本着色 青不動明王二童子像」。威厳と荘厳さを持ち迫力あるこの画像は、高野山の赤不動・三井寺の黄不動とともに日本三不動画の一つとして平安時代からたいへん篤く信仰されてきています。また美術的観点からも、非常に貴重なものであります。

安定した三角構図と三者三様の性格

制叱迦童子、矜迦羅童子

中央には厳かに岩の上に鎮座した不動明王が描かれています。右側には、腰を引き、上目遣いで合掌する「矜迦羅童子(こんがらどうじ)」が、左下には棒を構え力を誇示する「制叱迦童子(せいたかどうじ)」が描かれています。この二人には従順さと反抗的態度という侍者の二面性がうかがえます。青不動と二童子は、安定した三角形の構図を築いており、ここには三者三様の性格の違いが表出されています。

青不動十九観を巧みに形象化

忿怒(ふんぬ)の相で厳かに盤石の上に座する不動明王に、動きは感じられません。まさに、一切の人々を救うまではここを動かないという不動の姿を表しています。

 

右手に持つ三鈷剣は魔を退散させると同時に人々の煩悩を断ち切るための剣です。剣に巻き付いた倶利迦羅龍(くりからりゅう)は、不動明王の変化身で、竜王の一種とされています。

 

左手の羂索(けんさく)は悪を練り上げ、煩悩から抜け出せない人々を救い上げるための縄です。

 

右目は天を、左目は地をそれぞれ睨み(天地眼)、眼球の両側は忿怒による充血で、目頭と目尻を赤く強調されています。

 

また、右上唇を噛んで牙を上方に出し、左下唇からは牙を下方に向けて出しており(牙上下出)、こちらも左右非対称に表現されています。

 

これらの不動明王の特徴は、九世紀末に天台宗の安然(あんねん)が「不動明王 立印儀軌修行次第 胎蔵行法(りゅういんぎきしゅぎょうしだい たいぞうぎょうほう)」によって著された「不動明王の十九観」に基づくものです。

つまり、この青不動像は経典儀軌の規定を忠実に踏まえた観想礼拝のための仏画であるということが理解できます。

不動十九観の儀軌

1. 此の尊は大日の化身なり。

2.   明(真言)の中に阿(あ)、路(ろ)、喚(かん)、蔓(まん)の四字あり。

3. 常に火生三昧に住す。

4. 童子形を現じ、身、卑しくして肥満せり。

5. 頂に七莎髻あり。

6. 左に一弁髪を垂る。

7. 額に皺文あり、形、水波のごとし。

8. 左の一目を閉じ、右の一目を開く。

9. 下歯、上の右唇を喫み、下の左唇、外へ翻出す。

10. その口を緘閉す(閉じる)。

11. 右手に剣を執る。

12. 左手に索を持つ。

13. 行人の残食を喫す。

14. 大盤石に安坐す。

15. 色醜くして青黒なり。

16. 奮迅忿怒す。

17. 遍身に迦楼羅炎あり。

18. 変じて倶力迦大龍と成り剣に纏わる。

19. 変じて二童子と作り、給使す。

高い芸術性 —華やかで優美な仏画—

迦楼羅

青不動明王像は礼拝画像でありながら、平安中期、藤原時代の気品に満ちた美意識が反映された、優美で華やかな画像であり、わが国仏教絵画史のなかで屈指の名品と言われております。


翼を広げた七羽の火の鳥(迦楼羅)

青不動明王の周囲では紅蓮(ぐれん)の焔(ほのお)が激しく燃え上がり揺れ動いています。青黒(しょうこく)の像身と明るい紅朱の火焔(かえん)が、色彩の明瞭なコントラストを生んでいます。
白土上に朱と丹で塗り分け描かれた写実的な火焔中には、目を凝らせば七羽の「火の鳥(迦楼羅・かるら)」が翼を広げて躍動感に満ちあふれて舞う姿を見つけることができます。これは三毒(貧欲・瞋恚・愚痴)を喰らい尽くす鳥であり、不動十九観に基づいて描かれています。このように、燃え盛る炎の形状と、火の鳥の姿をダブルイメージで表すことで、焔が悪気を焼き尽くす聖なる力を内在していることを表現しています。この「だまし絵」的な手法は、仏画に優美さを求めた当時の貴族たちの遊び心をも表明しているようです。

優れた技法と独自の表現

青不動明王の肉身は、鋭く張りのある描線でくくられ、暗青黒色がほどこされています。この肉身の色は、調伏(ちょうぶく・悪行や煩悩を滅すること)を意味しています。身体は群青を平塗りするのではなく、鼻梁や頬、まぶたのような盛り上がった箇所をやや淡くし、顔の表情に立体感をもたせています。暈(くま)というこの手法は、不動の顔のみならず、三尊の身体すべてに及んでいます。例えば矜迦羅童子の身体は淡い肉色にわずかに赤味を帯びた暈が、制叱迦童子には濃い肉色に朱の暈がかけられています。
また、着衣は遠目には丹具で塗られ、襞の部分に朱具が施された上に、朱で立涌文様(たてわくもんよう・相対する2本の曲線の中央がふくれ、両端がすぼまった形を縦に並べたもの)が細やかに描かれ、群青の団花文が配されています。
青不動明王の岩座から垂れる房飾り付きの細帯、および臂釧(上腕につける輪)の紐には、白地に緑青・群青・丹具・紫のぼかしや、部分的に繧繝彩色(うんげんさいしき・同じ色を濃から淡へ、淡から濃へと層をなすように繰り返す彩色法)が施されています。
髪飾り、胸飾り、珠玉を連ねた瓔珞(首飾り・腹飾り)、臂釧・腕釧などの装身具類は、裏箔(うらはく・絹裏より箔を押す)の手法が用いられており、弁葉・弁花を組み合わせた豪華な形で表されております。これらの装飾表現は制作者の意図による独自の表現によるものです。

わが国屈指の仏教絵画

制作事情に関しては一切の謎に包まれていますが、経典儀軌に忠実に描かれた宗教絵画でありながら、そこに優れた技法と表現を兼ねそろえていることを考えると、当時最高レベルの絵仏師であったことには間違いないでしょう。

仏像を作る時は、一刀一礼(ひとつ削るごとに礼拝して心を込める)で彫り上げられますが、青蓮院の青不動明王もまた、絵師がまさに命がけで描いた気迫が感じられます。作者の強い思いが青不動明王によりいっそうの迫力を持たせ、信仰の上でも美術的にも、至高の仏教画となったのです。後世に不動明王を描く際の手本にもなった、非常に貴重なこの青不動明王が千年の時を経て現存していることは、史料的にも大変重要なことであります。

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